コラム


第2回 プログラマー残酷物語


1.ただの箱

(5) ソフトウェア業界の問題点

より発展したいという要求や進化という「生命」の本質と思われているものも「自然」全体から見るとほんの一瞬の出来事にすぎず、偶然にすぎないという事も忘れてはならないと思います。


優性理論のナチスによる悪用や,逆に雄大な自然の流れの中では、どうせ死ぬのだから人を殺す事にも理屈があるとする考え方も、弱肉強食という生命の性 (サガ)を自覚的にあるいは、無意識に含んでしまった考え方の裏表だと思います。遺伝子の操作により理想的な人間を作ろうという錯覚も、多様な存在であるから生き残ってきた人類に対して、意味のない合理性を押しつける危険な考え方だと思います。


道具として限界をもつコンピュータを、万能のように錯覚して、あるいは万能のように見せかけ成立しているソフトウエア業界(特に事務系)には、同じような問題があるような気がします。


コンピュータに電源が入らなければただの箱と言われますが、電源が入っていてもただの箱に過ぎない場合があります。事務の合理化という美名のもとに、まじめな現場に、メモやノートを別につけざるを得ない状態を押し付けて平気でいる。破たんなく運用することのみに重きをおいて、現場の営みを無視したシステムは、きれいな水の入った水槽と同じだと思います。


その中で、プログラマーの人間性までもゆがめられている場合すらあることへの怒りと、傷つき去っていった人たちへの鎮魂歌として、この文章を書きたいと思います。自分が犯した失敗の数々への反省とともに。



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