リクルート事件・佐川急便事件・ゼネコン疑惑……薬害エイズ・住専への公的資金投入・岡光事件・道路公団汚職・現役大蔵官僚の逮捕、どこまで続くぬかるみぞと言う感じです。
戦後、いや明治維新以降の日本のあり方が、今、問われようとしています。
第一に、行政主導による上からの改革や産業の育成という、従来の手法の限界が指摘されています。先進国に追いつくためには有効であったそれらが、日本が世界のトップグループに入った現在、むしろ足かせになっている。日本株式会社と呼ばれた手法は日本独特の特殊なものであり、世界では通用しない、世界標準(グローバルスタンダード)に準拠しなければ、国際競争に勝つ事は出来ないし、そこでの競争の場に立つ事すら出来ない。官の支配を弱め、規制緩和を行い市場原理を導入する事によって、民間活力の利用をはかろうとするものです。
一方で、市場原理は、むきだしの弱肉強食の世界であり、それを規制しない事は日本にはなじまない。勝者の影には、必ず大勢の敗者もある。むしろ、従来の官僚制度の意義を強調し、「日本的なもの」を守るべきだという主張もあります。様々な場所で議論が繰り返されています。
ところで、従来の「日本的なもの」の中では弱肉強食は存在しなかったのでしようか。確かに、むきだしの戦いや競争より和を尊重する、公開の議論ではなく根回しで全てを決めていくというやり方は、弱肉強食とは遠いもののように見えます。しかし、実際には「日本的なもの」の中でも、しかも民間だけではなく、行政も加わった形での、弱肉強食の世界が存在していたように思います。
テレビ朝日の「朝まで生テレビ」という番組で、行政改革を取り上げたとき、現職の若手の官僚が、今の官と民の関係として、官が上の方でお金を配分していて、民間が群がってそれを待っているという絵を、画いて見せた事があります。その絵を見て、番組の参加者から一斉に非難の声があがりました。官僚の思い上がりと映ったのでしょう。しかし、私にはその人が素直に自分の感覚を表現した絵だと思いました。
日本には民間業者ってあるのだろうかと思うぐらい、行政が各企業の活動・売上・利益に与える影響は大きいものがあります。
大蔵官僚の汚職事件で銀行のMOF担が話題になりましたが、銀行だけではなく、一定規模以上で社会的な影響力を持った、ほとんどすべての企業の営業部門には、行政からの情報を得るための部署が存在しています。MOF担が役員へのエリートコースであったように、企業にとってその部署は極めて重要なものです。
何故こんなことになるのでしょうか。それは日本の社会の有様が、原則としては規制されたものであって、手心を加えられた範囲での自由だからだと思われます。昔、タクシーの運転手さんから、ある警察官が言った事だとして、面白い話を聞いた事があります。「どんなやつでも捕まえようと思ったら5分間自動車を運転させれば良い。必ず道路交通法違反で逮捕できる。道交法違反をせずに運転なんて出来ないのだから」というものでした。
道交法だけではなく日本の法律は違反をせずに生活をする事が難しいほど細かい規制があり、その運用は行政の裁量にまかされている事が多いのです。建築確認を受けていない木造建物が数多くあり、その登記をする実際的な方法が存在する事も不思議な事です。水道工事の業者登録をするためには工事実績が必要なのですが、業者登録をしていなければ工事を行う事が出来ないという建前になっているため、登録をしようとする業者は、無許可工事の始末書を必ず出さなければならないという変な制度は、もう改善されたのでしょうか。
規制の裏側には許認可権が存在し、許認可を受けるためには膨大な資料を提出する必要があります。書類の不備に対する指導のあり方、その時期など、行政の裁量にまかされているため、行政の担当者の恣意性が入る余地が存在しています。
恣意性に基づく許認可のあり方が国産メーカーへの利益誘導だとして、数年前、非関税障壁として外国から非難されたことは皆さんご存知の通りです。またエイズ問題で明らかになった、非加熱製剤をめぐる治験時期の調整にも、医師を巻き込んだ行政の恣意性が感じられます。