コラム


第2回 プログラマー残酷物語


1.ただの箱


(1) 地蔵盆

京都では、地蔵盆という行事があります。お地蔵さんがまつられている小さな建物や、ほこらの前で、町内の子供たちを中心とした行事が2日から3日にわたって行なわれます。すいか割りや、くじ引き、のど自慢など、各町内毎に青年や大人たちの趣向をこらしたメニューが、一日に何回か行なわれ、それ以外の時間は、好きな時にテントの下のゴザや開放された民家の居間で、子供たちが勝手に遊んでいるといった内容です。大きなじゅずを何人もで持って、ゴエイ歌にあわせてぐるぐる回すといった奇妙な事も、メイン行事の一つです。


この地蔵盆の頃には、気がつくと赤とんぼが群れていたりして、秋の気配がただよい出しており、何よりも、夏休みがもう終わってしまうというさびしさがつきまとう時期でした。


(2) 「草いきれ」

8月上旬から、地蔵盆の前ぐらいまで、空き地の草むらや、雑木林のまわりの草むらに、晴れた日の午後に行くと、決まって感じる独特の臭いがありました。ムッとむせかえって青臭さの混じった「草いきれ」と呼ばれる臭いです。草むらでは、きりぎりすの勢いにかげりが見え出し、殿様ばったやしょうりょうばったが増えてきて、枯草の間ではえんまこうろぎの黒い姿が大きくなりはじめています。まだ衰えの感じられない夏の太陽の下で、秋へと移る過程がすでに始まっていて、枯草や落ち葉が発酵をはじめた臭いが「草いきれ」のもとであるように思われます。


子供にとって、嫌だなという気持ちと、最初から懐かしいという気持ちを同時に持たされる、妙な体験として記憶しているのは、私だけでしょうか。


赤ワインを飲むようになって、特にフルボディというタイプを口にした時、頬の内側に残る渋みとともに感じるかおりが、「草いきれ」と結びついたのは最近のことです。冷たい秋雨にぬれた落ち葉、木の子と腐葉土というだけでなく、「草いきれ」を足さないと、あのかおりのイメージにはならないと思います。


人間、動物、植物だけでなく、微生物、バクテリアやウイルスまで含んだ生命には、香水や芳香剤のような香りではなく「草いきれ」のようなかおりを本来持っているのではないでしょうか。科学的に合成された香りは、「草いきれ」のかおりをふくまないために、透明であり強烈だけれども冷たい。本物のかおりはあいまいで混沌としているけれど暖かさを持っている。「安物のマンゴーはゲロの臭いがする」と言った人がいました。古くなったり、木からもがれた後で熟したものには「草いきれ」が変な形で強調されてしまうものだと思います。


逆に純粋な果物のかおりには、例えレモンのような柑橘類の澄んだかおりの中にも「草いきれ」が含まれており、そのことがみずみずしさを感じさせるのだと思います。


人間も又、生命であり、同じかおりを持っているはずです。汗まみれでぶつかりあった子供の頃の経験と違って、満員電車の「人いきれ」には科学合成された香りが強く含まれすぎて、とても懐かしさなど感じられないのは悲しいことです。



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