コラム


第2回 プログラマー残酷物語


1.ただの箱

(4) きれい事でいかない

人間が形づくっているシステムは、様々な要素が有機的に結びついたものです。その中にも「草いきれ」や「ぬめり」のように目には見えない、有機的な連関があり、そのことが重要な役割を果たしているように思われます。


数年前、東京都の臨海副都心にある最新のビルを訪問したことがあります。そこのエレベータが、人間が押したボタンに対してほとんど無視した動きをするのに驚きました。全体の情報を、システムが自分で判断して、最も合理的なエレベータの動きを決定しているそうですが、なんだか人間が機械の一部分に組み込まれたような気がして、背筋が寒くなりました。


バブル崩壊後、進出企業もなく空き地がめだつ中にポツンとビルが建っている、夕方になっても赤のれんやネオンもない、とてもこんな所で仕事は出来ないと思ったものでした。あんな所で作られるシステムは、大丈夫だろうかという思いと、そこで働いている人は大丈夫だろうかという思いがします。


最初から、最も合理的な設計をしているはずの各国の新首都が、なかなか発展しないのも、同じように「草いきれ」や「ぬめり」を含んだシステム設計が、とても困難であるということを示しているように思われます。きれいな水にすることは決して生きる物にとって理想的なことではない事に思い至らなかった結果です。草いきれがただようようになるためには、長い時間をかけた人の営みが必要であり、様々な人間関係を築きあげることを阻害するものがあってはならないのです。


「人間世界は所詮きれい事ではいかない」と言いたいのではありません。「わいろ」「裏の人脈」「独占された情報の漏らしあい」これらも、人間らしさの一部かもしれませんが、「草いきれ」「ぬめり」とは違ったものです。


弱肉強食の世界の中で生き残るため、何かに追いまくられて形づくられる現実、それが日本の中でどのような形をとってあらわれているかについては、「第1回行政改革と公益法人」として書きましたので、ここでは省きます。ただ「きれい事でいかない」というのは、人間が動物から離れて間もないことの証明に過ぎないことということは、強調しておきたいと思います。



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