どんな土地のどんな場所にも、最も似合った季節と時間帯があるような気がします。私の生まれ育った京都にも、観光地としての顔ではなく、そこに生活するものにしか知られることのない顔があります。
清水寺の舞台から京都の街をながめる時、夕焼け、それも晩秋の全天をおおう茜色を背景とした、圧倒的な時間があります。同じ夕焼けを背景にしても、早春の少し霞んだあんず色の空には、九条大宮より少し東に入ったあたりから見上げる東寺の五重塔のシルエットが似合います。高校時代の卒業文集に「甘ずっぱい夕焼け」という表現を使って、浪人仲間の同級生から、「空をなめたら味がした」とからかわれた想い出とともに、忘れられない風景です。
広沢池から直指庵や二つの天皇陵を経て天竜寺へつながる細道は、片側に竹やぶ、片側に畑が広がる、嵯峨野にしては明るいイメージの一角です。自宅から20分ほどの距離にあるその道は、春の早朝、霞が晴れてしまう前の時間帯が一番です。徹夜して迎える夜明けは、漆黒のなかに紺色や紫色が、意外なことに西の空にかすかに忍びこむことからはじまります。空全体が深い紺一色になった後は、スピードをあげて朝へとむかう変化の主役は、明るさの違いとして東の空へ移ります。夜明けと朝を、私は勝手にそんな瞬間で分けていました。
徹夜の疲れた頭の中で早朝を迎えた時、京都の夏のむし暑さや冬の底冷えの時には、考えもしない散歩に、早春だけは出かけたくなる雰囲気があります。そんな時、迎えてくれるその道があることは、とても救いになることでした。もし、道の途中でたけのこの朝掘りに出会えれば、嵯峨野の竹やぶが、観光のために保存されているだけのものではなく、手入れのゆきとどいたたけのこの「はたけ」であることも実感できると思います。
嵐山の渡月橋近くの川岸から見る保津川には、夏の夕暮れが一番です。あたりがすっかり暗くなる一時間半位前から、急激に観光客の数が減りだし、川面に浮かぶボートの数も数える程になります。それまで両岸の道路や渡月橋の上の、絶えることのない人の流れと車の往来に、肩をはって対抗していた川面が、ほっと気を許したように見えるのは、まわりのみやげもの屋の店じまいの雰囲気と無縁ではないのでしょう。
私の育った京都という土地柄と昭和30年代前半という時代では、なかなか行けなかった海水浴で、日本海に面した旅館から見る夕方の海が、突如として荒れだしたのを見たことがあります。徐々に暗闇がせまってくる中で、20m位の石垣を乗りこえんばかりの波を、くり返し送り出してくる海の激しさは、子供心に恐ろしさを憶えてるものでした。夕なぎに沈む夕日を何度となく見ているにもかかわらず、夕方の海というと、あの猛々しい姿を思い出してしまいます。それと較べて川辺の夏の夕暮れは、ほっとする優しさをもっているように思われます。
ひとりになりたい時は、車を走らせて、野々宮神社近くの真っ黒な竹林をぬけ、清滝へとむかいます。深夜の橋の上から聞く川音は、空気が凍ったような冬の深夜、意外に大きく響きます。
これらの場所の印象は、観光客として訪れようとしても、その旅程の制約から出会うことの難しい季節と時間帯のものです。どのような都会であっても、時折見せる自然の美しさといえるかもしれません。しかし、その土地に暮らし、その時々の自分の主体的な条件や感情と切りはなしては存在しない印象です。幼年時代、少年時代、青春時代の生活、銭金(ゼニガネ)が中心でない生活と結びついて出来上がるものです。
東京で住むようになってほぼ10年、もっと年をとった時、このような印象として残る東京の風景は、私にはもうないかもしれませんが、子供たちにとって果たしてどうだろうと思う時があります。