コラム


第1回 行政改革と公益法人


4.美しさについて

(1) 無駄や贅沢を生み出す原因 1

行政改革の第三の論点として、官と民の役割分担についての議論があります。先に述べた民間活力を阻害する様々な規制を緩和し、民間の活力を高めるという観点ではなく、お役所仕事の非効率性を問題にし、民間で出来る事は民間に任せ、官の役割をなるべく小さくしようというものです。社会的コストも、その方が低く出来るという意見です。小さな政府を目指す動きでもあります。郵政三事業の民営化もその流れの中で主張されています。


行政や特殊法人や公益法人の非効率性として、無駄がありと贅沢があるという指摘があります。国鉄清算事業団や林野庁の累積赤字、住都公団の売れ残りのマンションや空室、道路公団による不要な有料道路の建設、ほとんど使われる事のない農道空港、釣堀と化した港湾設備、不必要なダム、年度末に繰り返される道路工事とそれによる渋滞等は、無駄だという指摘です。豪華な役所、豪華な宿泊施設、豪華な首長公舎とその備品、慰安旅行としか思えない議員の海外研修等は、贅沢だという指摘です。


これらを生み出す原因は次のように言われています。自分の部署の予算を増やす事が、優秀な官僚や職員として評価され、その結果予算を増やす事が自己目的になってしまう。コストを削減し、予算を残す事は、予算そのものが過大であったという評価を受け、次年度の予算が削減されてしまう。その結果、無駄な支出が期末に集中して行われ、予算を消化する事が自己目的になってしまう。これらの批判はその通りです。


豪華な役所、豪華な宿泊施設、豪華な首長公舎とその備品、慰安旅行としか思えない議員の海外研修等は、贅沢だという指摘です。施策について、最小コストで最大の効果をあげるためには、事前の予算審議だけでなく、事後的に業績効果の評価を行う事も必要でしょう。そのためにも、情報公開が重要になります。


(2) 無駄や贅沢を生み出す原因 2

ところで、コスト意識を徹底させ、無駄や贅沢を排除するという時の、判断基準はいったい何でしょうか。その基準抜きに、官と民の役割分担を論じても、内容の無いものになります。行政や特殊法人や公益法人において、収入に対して支出を出来るだけ削減し、剰余金をなるべく多く出す事が効率性の判断基準だという主張は、収入を売上と混同した論議で、乱暴すぎると思われます。


それらの収入は税金(補助金・受託収入)であり、会費であり、全て、収益を生み出す事を目的として提供された物ではないからです。税金であり、会費であるから、無駄遣いをしてはいけないという意識は、官僚にも職員にも普通に存在しており、制度としての行政や特殊法人や公益法人が、いつも無駄や贅沢を生み出すわけではないのです。むしろ、民間企業が利益をあげた時の無駄や贅沢の方が、よほど激しい事は、バブルの頃、みんなが経験した事ではないでしょうか。


行政の無駄や贅沢がこれほど目立つようになり、不祥事がこれほど続発する原因は、行政や立法が何を必要と考え、何を無駄や贅沢だと考えてきたかという判断基準が、世の中のあり方と大きくズレだしてきたからだと思います。明治以降の富国強兵、敗戦以降の富国、これが国の目標であり、その目標にとって不必要なものは、行政のやるべき事ではなく、無駄であり贅沢である。やるとしても最低限にすべきだという判断基準です。



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