コラム


第1回 行政改革と公益法人


3.久しく解けなかった疑問

(5) なぜ非難されるのか

企業が利益を追求するのは当たり前の事です。企業性悪説に組するつもりもありません。しかし、一部の者だけが情報を独占し、その事によって利益を得る、しかもそれが公的な社会構造として保障されているという日本のあり方は、問い直される必要があると思います。


先進国に追いつくため、敗戦から立ち直るため、このような構造は、産業を育成し資本の蓄積を行うためには必要な事だったのでしょう。その構造の構成員になることが企業戦士の目標となり、仕事も地位もその構成員の中でたらいまわしにされる。構成員の中の情報は構成員の中だけでやりとりされ、外部に漏れる事はない。一方で、構成員同士の激しい競争もある。


構成員の中でどれだけ有利な立場になれるかという競争は、お互いに手の内を知っているもの同士の戦いだけに、し烈を極めます。日常生活の中の当たり前の姿として構成員同士の接待や付き合いが繰り返されるのはその現れですし、一日十件以上の接待を受けた大蔵省幹部がいたということも判る気がします。バブルを頂点として起こった倫理的な堕落は、構成員の中で得られる利益が頂点に達し、官僚の感覚まで狂わしてしまったために起こった事なのでしょう。


汚職や事件がおきると、マスコミは一斉に非難の声をあげますが、一方で運の悪い人だという同情論がささやかれる。道交法からのがれる術もなく、違反をし続けながら運転する人の中で、捕まるのは運の悪い人だと思うのと同じように。


バブル崩壊後、金融・証券・不動産・建設の各業界で次々とおこる不祥事は、このような構造の中で当たり前に行われてきたことが、社会全体から非難されているのだと思います。豊かになったとされる日本で、構成員だけが利益を得る事が出来る体制は意味を失いつつあると思います。民間企業の中からも、企業活動はもう自分たちに任せておいてくれという声が上がりだしている事も、その事の別の側面かもしれません。


(6) 情報公開の必要性

行政改革の第二の論点とされる情報公開は、規制緩和よりももっと強調されるべきです。税金の無駄使いの監視という観点が強調されていますし、それはとても重要な事ですが、民間活力を高めるためには、行政の意思決定の過程の情報を公開することのほうがより重要な意味をもっているように思われます。


その事が、公正な競争を保障する事になりますし、ベンチャー企業が新しく事業を起こすチャンスを与える事にもなります。才能のある人や、アイディアを持った人が続々と登場できるような場が必要です。日本人は物まねが得意で、創造的な活動は苦手であるといわれます。


しかし、インテル社のチップが、最初は日本のアトム電子との共同開発であったことを見ても、私はそうは思いません。むしろ創造的な活動を妨げるような構造があっただけではないでしょうか。「電子立国日本」というNHKの番組の中で、インテル社が制作したIC回路をアトム電子が輸入しようとしたとき、なかなか許可を出さなかったお役所があり、「日本全体の利益の中では、中小企業の一つや二つつぶれてもしょうがない」といったお役人の言葉に象徴される体制によって、いかに多くの起業家の芽が潰されてきたのでしょうか。


もちろん、世界で稀だといわれる農耕社会の日本で、独自の文化が競争のあり方に影響を与える事は間違いないでしょう。しかし、同じ日本であっても、各時代で全く違った体制がとられたように、この文化の中で、全ての情報をみんなが共有し、公正な競争が行われる社会を作る事は可能だと思います。日本人はパニックになり易いと言われる事もあります。


しかし、情報を一部が独占し、恣意的にコントロールしてきた事が、人々の情報処理能力を阻害してきただけなのではないのでしょうか。情報を出来る限り公開し、人々の判断に任せる事が必要だと思います。情報公開法、情報公開条例がどれだけ徹底されて行くかが、極めて重要な事だと思われます。


一部の構成員の間でどのような世界が作り上げられ、どのような支配被支配の関係があり、どのようにして隠された弱肉強食の世界があるのか。出来るだけみんなの目の前に明らかにして、許されるものと許されないものを判断していく事が必要です。衆愚政治になってしまうという批判もありますが、そうは思いません。


情報が多ければ多いほど、必ず、様々なオピニオンリーダーが現れ、それらの意見を比較し判断していく中で、正しい判断が下されていくものだとおもいます。マスコミを通じて情報操作が行われる危険も、情報量の多さが、むしろその危険を防いでくれると思います。


(7) 久しく解けなかった疑問

久しく疑問に思っていたことがあります。「ゴッドファーザー」というマフィアの世界を描いた映画が、何故こんなに面白いと感じるんだろうという事です。やくざの世界をえがいた「仁義なき戦い」もヒットしたように、人々がこれらの映画に、何故か一種のさわやかさを感じるのは、隠された支配被支配よりも、むきだしの弱肉強食の世界の中に、人間らしさを感じるからかもしれません。



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