法律に基づかない行政指導という名の規制も存在します。ある国産のコンピューターメーカーが、独自路線に限界を感じ、DOS-V機への転換を図るため、提携している外国企業のブランドでDOS-V機を発売すると新聞で報じられた直後、あるお役所から、国産メーカーの育成と保護というお話をされ、数年間にわたって国内での販売を見あわせたという噂を聞いた事があります。
法律に基づかないお話であっても、ほかのことで意地悪をされることを恐れたその企業は、それに従った訳です。強大な行政権力はそのようにして業界を支配しているのです。
そのような行政担当者が恐れるものは、議会であり、議員つまり政治家です。予算や法律の議決権を持ち、その討議の過程で質問を行う事の出来る政治家は、本来的に行政に対抗する権力であり、行政を監視する機能をもっています。しかし、その監視が、議会の場ではなく、隠された場で行われるとすれば、話は違ってきます。
特に急成長する会社の場合、行政の許認可業務とぶつかるケースが多く、政治家を通じて便宜を図ってもらう事は、大きな利益をもたらします。むしろ、有力な政治家とつながりをもった企業が急成長することが多いと言った方がよいのかもしれません。
リクルート事件・佐川急便事件・ゼネコン疑惑といった出来事は、そういう構図の中から生まれてきたものだとおもわれます。中央の政界だけではなく地方でも同じような構図が、身近なだけにより強固な構図があるように思います。規制緩和の必要性は、そういう構図を打ち破るためにも必要です。
行政から企業が得ようとするものは、規制に関するものだけではありません。国の政策がどのような方向へ向かっているのかという情報も、企業にとって多額の利益を得るチャンスをもたらすのです。実際の施策として公表されてから準備を始めたのでは遅いのです。
国の政策の方向性を、公表される前にいち早くキャッチし、他よりも早く企業としての戦略を立てる事によって、合法的に、市場での優位性を確立出来るのです。接待の場だけではなく、日常の意見交換の場を通しても、情報をキャッチする事が、企業にとって、営業マンにとって非常に重要なこととなるわけです。
地方では公共工事が経済の中に占める割合が中央よりも大きく、「面倒をみてやる」という言葉に代表されるように、人間関係がより固定化しやすいため、もっと露骨な関係があるように思います。
行政改革を進めるべきだという立場の人も、慎重な姿勢を取る人も、余りはっきり言わない事があります。それは行政が肥大化し、柔軟性をなくして行った過程は、行政自身が持つ性格だけから生まれたのではなく、そこで利益を得、利益を感じられる人が周りにいたからここまできてしまったという事です。
社会では理由なく存在するものはありません。族議員、族業者及び行政が絡み合い、情報を持つ人だけが社会を支配していく。それは弱肉強食の世界ではないのでしょうか。
民間の企業でも、親会社子会社の関係や、業種によっては元請け下請けの関係の中に同じ事があるような気がします。利益を吸い上げる代わりに面倒を見る。系列に入っている限り優遇をする。しかし、自分の身に危険が迫れば容赦なく切り捨てる。形を変えた支配被支配の関係が存在しているように思います。
これも弱肉強食とは言わないのでしょうか。民間活力の利用といっても、従来の行政を頂点としたこのような構図が残ったままでは、弱肉強食の形を変えるだけではないのでしょうか。